2008年4月4日金曜日

OulutechとOulu Innovations

 議論の前提として,サイエンスパークにおける大学の役割についての質問を投げかけたところ,サイエンスパークにおいては必ずしも大学がリーダーシップをとるとは限らない.大学は時に過剰にアカデミックであり,企業がその傾向を嫌うこともある.

 実際,テクノポリスやCoEプログラムにおいては,企業がリーダーシップを取るケースがほとんどだ.またオウルにはVTTがある.VTTは大学よりも産業界に近い.オウルにとってのVTTは,他の都市にとってのVTT以上の存在意義があるという返答を得た.

 しかし,VTTもその設立当初から上記のようなスタンスを取れていたわけではなさそうだ.Oulutechのシニア・アドバイザーであるKari Hopia氏は,「VTTはオウルに来た当初は,それほど大きな施設ではなかったが,マーケティングという意味では大変大きな意義があったと.オウルのVTTの初代のディレクターはフィンランドでは大変よく知られた人物であったからだ」と指摘する.

 その後のオウルの発展についても,VTTのプレゼンスを強調すると同時に,密なる産学官連携による開発プログラムの効率性の高さを指摘している.

 例えば,VTTはTEKESやSITRA,EUや企業の異なる技術開発プログラムを共同で実施している.第4世代携帯電話開発においては,大学やVTT,企業が一緒になってプログラムに取り組んでいる.ある企業がモバイルアプリケーションを開発したとき,迅速にテストを行うことができるといったメリットもあると述べる.

 その意味でもし,オウルを成功した産業クラスターの例としてみるのなら,今日の成功は運ではなく,30年にわたる進化の結果だと見るべきだ.なぜならその間の努力の結果として,90年代後半にはハイテクセクターで多くの雇用が生み出されたからだという.

 Oulutechは94年に設立.インキュベーションには現在15社が入居,ビジネスディベロップメントでは160のケースを実現し,現在までに35社に対して起業支援を行ってきた.

 Oulutechのミッションは,起業化を支援し,ハイテク分野でイノベイティブな企業を育てるための様々なツールを提供することにある.ビジネスプランの評価を行ったり,国際的な技術移転のためのネットワークを築いたり,シーズをビジネス化するための資金提供を行う.

 また,私的な投資家やベンチャーキャピタルとローカルな企業の間の橋渡しのためのミーティングを開いたりもする.国内外から投資家をオウルに招き,企業にプレゼンテーションを行わせる.成功するかどうかは企業しだいであるが,ヘルシンキにわざわざ出て行かなくても資金を獲得する機会を見つけることができるし,可能性を持った企業が海外のマーケットに出て行くための機会にもなりうる.

 また,資金という面ではさらにいくつかの特徴がある.OulutechはTULI,YRKE,LIKSAといった国レベルのファイナンスツールの運営をTEKESやSITRAから任されている.

 TULIは大学や研究機関に対して提供されている.企業に対するものではないので,資金が提供される段階ではスピンオフ企業などを作っておく必要はない.YRKEは新しいアイデアを持ったスピンオフ企業に対して提供されるものである.LIKSAは企業がビジネスプランを作成するために提供されている.将来的には様々な投資家の前でプレゼンテーションを行って資金を獲得することになるが,その準備をするための資金となっている.

 また,ビジネスサービスとして重要なネットワーキングサービスであるが,NOITAやビジネスエンジェルフォーラムと呼ばれるツールを持っている.NOITAはビジネス経験豊富な人々によって構成されるローカルなネットワークである.このアドバイザリー委員会が起業家に対して企業運営の方法論などについてアドバイスを行う.

 ビジネスエンジェルフォーラムは地域のビジネスエンジェルとSITRAが持つINTROネットワークという投資家ネットワークからの参加者で構成されている.特にスタートアップ企業とビジネスエンジェルを結びつけ,投資を実現させることを主眼としている.

 このほかにも様々なレベル・分野の専門家ネットワークを持っている.

 これらの枠組みの元で,Oulutechは年間に150ほどの企業からのコンタクトを得ているが,大学からのコンタクトに比べて企業からのコンタクトは約2倍となっている.フィンランドでは大学からのスピンオフを奨励しているが,この数字を見る限り,新たなビジネスのアイデアは主に企業かビジネスというバックグラウンドを持っている人から生まれていると考えられている.また,廃業数についてであるが,これまでに45社の支援をしてきたが,5社が倒産しているが,認識としては「それほど多くは無い」と感じているようであった.Oulutech社に対するビジネスコンタクト数の推移を見ると2002年に落ち込みが見られるのだが,これはITバブルの崩壊によるものだという.

 しかし,例えばSONERAは90年代を通して行ってきたいくつかのプロジェクトを終了させており,これによって数多くのSMEが苦しむことになったが,生き残りに成功した会社は多いと述べている.

 今後のオウルについてはであるが,5000の新規雇用を2010年までに生み出す計画を立てている.しかしこれにはいくつかの条件がある.願わくばNOKIAのプレゼンスが最低でも現在と同じ程度で維持されることが最良のケースであるという.また,NOKIAの下請けがオウル地域で生産を行うというシナリオも実現して欲しいと考えているようだ.

 これについて,オウルはNOKIAへ過度の依存していないか?NOKIAが倒産することは考えられないか?と質問したところ,

 「確かに依存しているだろう.しかし,その他にも成長の可能性を持った企業はいくつもある.(ノキアへの依存は)その点では意思決定の問題であるといえるので,マネージしていくことは可能だろう.例えばノキアがここでのプレゼンスを小さくしていくとしてもそれはある日突然起こるものではないはずだ.

 ノキアはフィンランドでの1000人規模で雇用を拡大しているし,生産部門が海外へ出て行っているが中国やインドに拠点を設けてはいてもそれは新たな市場に向けたものであるだろう.今後,我々が重点を置くべきことはSMEへの支援だ.この地域の多くのSMEは国際的に活動を行っているし,多くの可能性を秘めている.」と説明していただいた.

 同地域における経済成長はSMEに支えられる部分が大きい.であるから,オウル自身も世界に門戸を開いておく必要がある.ローカルマーケットはきわめて小さいし,国内マーケットも小さい.だから起業家は国際的な感覚を持っていなければならないと強調している.

 オウルの現状と将来のシナリオについての説明が主眼となったが,これに加えて94年以降に始まった国によるCentre of
Excellenceプログラムの説明も受けたので,以下に記しておく.

 Oulutech設立と同じ1994年に始まったCoEプログラムは,特定の技術分野を世界レベルに引き上げることを目標にしている.オウルでは,情報産業とウェルネス産業を組み合わせたプログラムを実施してきた.我々の優れた無線技術とウェルネス分野の融合を図り,優れた成果を上げている.

 このCoEプログラムは基本的に地域発のアイデアをふるいにかけて国が資金を提供するというものであるため,各地域がそれぞれの実情と戦略に応じたプログラムを策定している.オウルの場合,CoEに向けてフォーラムと呼ばれる集まりを持っている.

 フォーラムには大学やポリテクニクス,VTT,企業といったアクターが参加し,それぞれのビジョン・意見を持ち寄って議論を行うのであるが,ここでは企業がリーダーシップをとっている.企業が何を考え,何を作り出していきたいのかといったことの報告に対して議論が行われている.

 この点については「企業秘密といった考え方もあるが,我々の環境はコミュニケーションに対して極めてオープンなものであり,現在のところ有効に機能している.協力して何かを成し遂げようとするならば,オープンであることを心がけなければならない.それが良いフィードバックを得る秘訣だ」という考えを聞くことができた.

 フィンランドでは各地で「face-to-face」「緊密なコミュニケーション」といった言い回しが聞かれたが,オウルももちろん例外ではない.Oulu
Innovationのプログラムディレクター,Illka
Frederiksen氏は「オウルのハイテクセクターはテクノロジーパークに集中しているので,face-to-faceのコミュニケーションは容易だろう.ハイテク企業は地理的にも近い距離にあり,互いに顔見知りでもある.食事をしたり仕事をする場所が近いので緊密な関係を保つことができる」と述べ,Kari
Hopia氏も「アメリカにもテクノロジーパークがある.その近くには仕事後に様々な人々が集まって食事をしたりビールを飲んだり議論をするための特別な場所が設けられており,ネットワーキングの機会となっているが,オウルの場合は違う.仕事後だけではないのだ.コミュニケーションはとてもシンプルだ.互いに顔見知りだし,Illkaのいうとおり,大学の同級生が数多くこの地域で働いているというケースは珍しくない」と言う.

 実際のところ,集積が進めば進むほど物理的空間は広がっており,テクノポリスサイエンスパーク自体も徒歩で移動するには少々広すぎるという感はあるが,Hopia氏が指摘するとおり,公式非公式に人々が参集し,ネットワーキングの機会が自然に出来上がっているという光景は各地で見られた.

 この考え方はCoEプログラムの策定にも大いにその力を発揮しているとHopia氏は指摘する.つまり,サイエンスパークのコンセプトは建屋だけでなくもっと広範なものであり,開発プログラムなどのソフトウェア的側面も含まれるべきだということだ.

 CoEプログラムにおいては,オウルでも先のフォーラムを通じて大学・産業・市が協力してプランを練り上げている.オウルの現状をかんがみてどのような計画であれば地方の産業に貢献できるかという議論を経て立てられたプランは政府によるセレクションの結果,他の地域よりも大きな額の資金を得ることに成功している.

 Hopia氏は「このケースからいえることは,地方におけるアクター間の協力がとても重要だということだ.日本の場合は政府機構が中央集権型のようなので,このような協力は機能しない場合があるだろう」と指摘する.

 日本との比較という点では,90年代以降の産業空洞化と産業クラスター計画に話が及んだ.実際,オウルの製造業でも海外移転が起こっているが,オウルでは起業も盛んに行われており,その意味ではバランスが保たれているという.

 Hopia氏は「我々は工場を誘致したいのではない.工場誘致に関する議論は長い間行われていないかわりに,国際市場での活動を目指すスタートアップ企業を惹きつけるように努力をしてきた.

 なぜなら,このような企業が国内ではなく,海外で顧客を見つけて取引を行っても成長を実現することは可能だからだ.確かにSMEは成長を志向しているが,必ずしもここに工場を立てる必要はない.この地域の企業も工場を持っているがそれはロシアや東欧諸国,中国やインドにある.

 オウルが成功している理由の一つはこの国際化志向にある.サイエンスパーク内の良好なネットワーキングだけではなく,多くの起業家が自らの企業を国際化することに大変意欲的だ.英語能力も高く,様々な国を頻繁に訪れている.彼らは大企業の中にあるわけではないから,初期段階から熾烈な競争に直接さらされる.だから国外の競争相手がどのようなことをしているかを知るためにも海外に出向いていかなければならないのだ.

 このようにフィンランドの起業家は大変国際化志向が強い.オウルは何十年もの間,そのような起業家を支援してきた」と述べる.

 転じて日本に目を向け,燈田氏が「国内のマーケットのサイズが十分に大きいが,日本の企業の収益の過半数は海外取引である.ただ,日本企業は外国をセールスのための市場として見てきた.状況は多少変わりつつあるが,海外に研究拠点を持とうという意思はあまり見られない」と説明したところ,Hopia氏は「日本でイノベーティブな新しいクラスターを作ろうと思うなら,市場全体を作り変えなければならないだろう.スタートアップ企業や新しいアイデアが入り込む余地を確保する必要がある.その意味では我々のモデルはフィットしないかもしれない.なぜなら,我々は非常にオープンなビジネス環境にいるし,新しいアイデアは受容されやすいからだ.

 フィンランドは80年代まで,「閉じた経済」であった.貿易相手としてソ連の占める割合は非常に高かったが,ソ連の崩壊に伴って,90年代初めにはこの方向性を変えることに成功し,起業家達は新たな市場を西ヨーロッパやアメリカ,日本に求めるようになった.当時と比べるとずいぶん環境が変わったのだ」と答えている.