Arctic DiagnosticsのCEOのErkki Soini氏は,どのようにしてこの地域の産学官コラボレーションが成功裏に成熟してきたのか?このトゥルク地域にはたくさんのバイオ企業が起業し,サイエンスパークもうまくその機能を果たしていると主張しているが,それについてはどう思うか?という問いかけに対し,産学両セクターの経験者として,またBioTurku構想の生みの親の一人として以下のような見解を述べている.
「大学での研究経験があり,現在は社長であるという私の視点から見ると,サイエンスパークは直接的には役に立っていない.しかし忘れてはならない点もある.
1990年にフィンランドでバイオテクノロジーブームが起こり,人々がバイオテクノロジーを話題にし始めた.フィンランドアカデミーも興味を持ち,フィンランド国内でバイオテクノロジーに最も優れた地域はどこであるかの調査を行っている.その調査によると,ヘルシンキとオウルが秀でており,そのほかには少しの集積があるに過ぎないということだった.トゥルクにはほんの少しの分野横断的な研究があるだけだと結論付けている.
当時でもトゥルクにはこの分野の研究者が大勢いたが,組織化されていなかった.例えばオウルではバイオセンターのように組織があり,多くの人がオウルのバイオセンターがどのような研究を行っていて,何を成果として持っているのか,どのようなレベルにあるのかということが知れ渡っていたが,トゥルクにはそのようなものは存在しなかった.
そこでやっとトゥルクの人々は組織化の重要性に気づき,BIOCITYの建設と運営に乗り出したのだ.フィンランドアカデミーが次に発表したレポートでは,「BIOCITYはフィンランド最大のバイオテクノロジーセンターだ」と発表している.
実際は何も変わっていない.我々にあったのはこの「BIOCITY」という建物だけなのだ.
サイエンスパークはELECTROCITYやそのほかの建物を立ててはいるが,なんら変化を直接的にもたらした組織ではない.建物を建てることで多くの人の注目を集めることが彼等の役回りとなっている.
その結果として,多くの資金がヘルシンキではなく,トゥルクに入ってきている.それもこれもBIOCITYがあるからだ.BIOCITYには500人の科学者がいる.」
Erkki
Soini氏が指摘しているこのような研究と産業の間の構造的課題だけでなく,トゥルク・サイエンスパークの関係者からはIPRの取り扱いやベンチャーキャピタルの不足といった制度的側面についての問題点が多く指摘されている.
また,サイエンス・パークから地域経済そのものに目を転じると,TADセンターでの議論でも指摘されているように,地域の産業構造転換と労働力供給・労働者の技術の関係にミスマッチが生じている.これらはいずれも短期間には解決が難しい問題であろう.
サイエンスパークそのものの歴史も浅く,そもそもバイオ関連の企業は短期間で成果を挙げることが難しいこともあり,トゥルクにおけるバイオクラスターは未だ萌芽期にあるといえる.しかし,他方でTADセンターのHayashi氏も指摘するように,トゥルクでも数百人単位のレイ・オフが相次いでおり,産業の空洞化が進んでいる.林氏は「それをカバーするために,中小企業にがんばってもらわなければならない.しかし,計算によるとかなり多くの中小企業を作らないと労働力の吸収は望めない」と述べている.