2008年4月4日金曜日

テクノポリス・サイエンスパークにおける産学官協力

 「1958年に大学が設立され,60年代に今日の基礎となるような重要な産業(電子工業)がオウルに来たことで,オウルの人々は,大学は現在そこに存在する産業に貢献することだけでなく,将来そこで発展していくべき産業のための研究・教育を行うべきだと考えるようになった.エレクトロニクスやバイオメディカルの分野はその典型であろう」とSuhonen氏は言う.

 オウル郊外に広がる広大なサイエンスパークに集積した企業,研究所,教育機関はそのような考え方が具体化したものであるといえる.

 我々は,燈田順子・天野圭二(2005)「「場」を動かすナレッジ・イネーブリング-フィンランドの産業クラスターモデル-」『組織学会2006年次大会報告要旨集』において,以下のように論じている.

 「ただでさえ,知識集約度の高いハイテク産業においては産官学間のネットワークによる知識・情報の交換・共有は重要な意味を持つ.大学内に多数のベンチャーが散在し,知識創造が進む過程で,クラスター内の不足分野を補強するための新たな企業が誕生し,地域の知的資源が循環する.しかし,オウルモデルを独自の産業クラスターとして発祥させ,継続的飛躍を遂げている要素はこのような形式上の特徴だけでは説明がつかない.

オウルではface-to-faceあるいはwalking
distanceで様々な資源にアクセスが可能であるということに示されるように,知識創造の場を活性化させるために組織的にenabling
conditionの整備を実施してきたことが産業クラスターによる地域の活性化成功の大きな起因となっているのである.そこで,オウルモデルをknowledge
enabling conditionの実現という観点から分析してみると以下の点を指摘することができる.

第一に,場作りという点ではもともと街の規模が12万人程度と小さく,近接する大学や病院,インキュベーションセンターでは皆が知り合いであるというように産官学間の協働が緊密であり,同時に物理的空間としてのインキュベーションセンターや周囲のレストラン・バーがイネーブリングコンテクストとしての場としても機能しているということ.

 第二に,ビジョンの浸透という点では,Technopolis社のボードミーティングにおいて,「オウル地域審議会としてオウル市長が議長となり,オウル大学長,VTTオウル所長,知事,商工会議所,通産省,労働省等がスクラムを組み,各関係部署のトップが共通認識を持つようにした
」との指摘があるように,地域レベルでknowledge
visionの浸透が図られている.これは,会話のmanagementによって内外からの刺激をクラスターに浸透させるという適切な知識の場作りが効果的に実施されてきたということを示したものである.クローらは「会話は依然として社会的意識を生み出すアリーナ(現代のアゴラ,集会の場)」であると指摘する.このようなアリーナもオウルモデルを構成する重要な要素の一つといえよう.

第三にknowledge activistについては,同社の事業コンセプトにおいてenabling
conditionの整備に重要な観点を提供している.企業間ネットワークの構築を主眼とする同社の事業は産官学機関を集積させ,相互作用を生み出すための媒介役を果たす.具体的には「企業,大学と各組織を回り,歩いては話し,歩いては話すのが実際の業務である」
という点から組織として会話をマネージし,knowledge activistとしての機能も負っていることがわかる.

以上のように,極めて日常的な知識の衝突と融合は,オウルにおけるsocial
knowledgeの獲得・知識創造のスパイラルの形成にとって最も重要な要素である.この流れの中でTechnopolis社は,サイエンスパークという場を動かすenablerとしてSECIモデルを促進するための土台を意識的に提供するという社会的機能を果たしているということができる.」

 しかし,このような成功要因の裏には更なる検討対象要因が含まれていることがヒアリングの過程で明らかになってきている.これらの課題についても引き続き,検討していく必要がある.